こんにちは、株式会社タウラボ代表の田浦です。
皆さんは、TBSラジオはお好きですか? 私は大好きです。
特にライムスター宇多丸さんがパーソナリティを務める『アフター6ジャンクション(アトロク)』、そしてその前身である『ウィークエンド・シャッフル(タマフル)』は、私のクリエイティブの血肉になっていると言っても過言ではありません。
ご存知の方も多いと思いますが、この番組の名物コーナー「ムービーウォッチメン」は、その週に扱う映画を「ガチャ(カプセルトイ)」を回して決めるという、無慈悲かつ厳正なシステムを採用しています。
それゆえ、どんな話題作であっても、ガチャが当たらなければ基本的にはスルーされてしまう。「ああ、宇多丸さんの視点で、あの映画の批評を聞きたかったのに…!」という消化不良を抱え続けている映画ファンは、私だけではないはずです。
そこで、仕事柄、来る日も来る日も生成AI(ChatGPTやGeminiなど)と向き合っている私は、必然的にこう思います。
「ない映画レビューは、AIと一緒に作っちゃえばいいじゃないか」と。
題して、【AIで叶える「もしも」シリーズ】。
単なるモノマネではなく、「過去の評のロジック」や「文体」、「息遣い」まである程度コピーしたレベルで、私の脳内にある「幻の放送回」を具現化してみることにしました。
もくじ
今回のお題:『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』
なぜこの作品かというと、私と家族にとって、この映画シリーズはDVDからBlu-ray、果ては4K BOXまで買い替えるほどの大切な作品だからです。
しかし…宇多丸さんは、これまで一度もこのシリーズをウォッチメンしていません。
それどころか私の記憶が正しければ、かつてガチャで当たった時も、スルー(再度ガチャを回す)されたような記憶すらあります。リスナー評でも「シリーズを宇多丸さんなりに解説してほしい」とリクエストが来てた記憶もあります。(違ってたらすみません。)
「もしかして、あえて避けてる?」とすら邪推してしまう、この現状。
大好きなシリーズなのに、大好きな師匠が語ってくれない。そんな「両ファン」としての積年の悲しみを晴らすため、あえて正解データ(過去の評)が世の中に存在しないこの作品で、どこまで「宇多丸イズム」を注入できるか実験してみました。
制作プロセス:AIは「指示」ではなく「壁打ち」で育つ
最初に「宇多丸さん風に書いて」と投げるだけでは、正直、ただの「口調が丁寧なオジサンの感想文」しか出てきませんでした。
そこから、私が、AIに対して以下のような「修正指示」を入れました。
- 「尺が足りない! ボリューム倍増で!」
- 「宇多丸さんなら、ハビエル・バルデムを語る時に『ノーカントリー』のアントン・シガーを引き合いに出すはず」
- 「『ローン・レンジャー』評で語っていた”ジョニー・デップの手持ちカード理論”を応用して」
- 「前作『生命の泉』の映像がなぜショボかったのか、カメラの技術論(REDカメラの3Dリグ問題)からロジカルに語って」
- 「後半、畳み掛けるように細かなこぼれ話(意外な俳優の出演など)を入れて「時間がないからまあいいや」と宇多丸さんなら言う」
こうして、「そうそう、宇多丸さんなら絶対そこを突っ込む!」というポイントをAIに学習させ、何度かリライトさせた結果…。
所要時間、約20分。
完成したテキストが、こちらです。脳内で「あの声」に変換してお読みください。
【妄想書き起こし】週刊映画時評 ムービーウォッチメン
対象作品:『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』
宇多丸:
はい、出ました!……『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』!
(BGM:映画メインテーマ “He’s a Pirate” が勢いよくイン)
宇多丸:
あー、はいはい。もうね、逃げられない(笑)。
世界的な超特大ヒットシリーズ、その第5作目。
私はこれ、T・ジョイPRINCE品川のIMAX 3D字幕版でウォッチしてまいりました。
まあ、公開直後の週末ということもあって、劇場はパンパンでしたよ。家族連れ、カップル、あとやっぱりね、普段あんまり映画館に来ないような層も含めて、「夏のイベント」として機能している感じは、さすが腐っても『パイレーツ』だな、という風には思いましたけども。
ということで、リスナーの皆さんからのメール、いわゆる「監視報告」も、普段の倍以上の量が届いております! ありがとうございます。
賛否の比率で言うと……これがね、意外と割れてます。「賛」が6割、「否」および「まあまあ」が4割といったところでしょうか。
誉めている人の主な意見は、「原点回帰していて楽しめた」「久しぶりにウィルとエリザベスの話が見れて感動した」「アトラクションとしては最高」。
一方、否定的な意見は、「脚本がガバガバすぎる」「ジャック・スパロウに魅力がない」「もうシリーズを続ける意義を感じない」といったあたり。
代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「塩漬けの船乗り」さん。
「宇多丸さん、こんばんは。観てきました。正直、傑作とは言いません。ご都合主義な展開も多いです。でも! あのテーマ曲が流れて、ブラックパール号が海に出るシーンだけで、僕はもうすべてを許せました。シリーズを追い続けてきたファンへのご褒美のような映画でした」
……なるほどね。まあ、「同窓会」的な楽しみ方としてはアリ、ということでしょう。
一方、ダメだったという方。ラジオネーム「コンパスが壊れた」さん。
「ハッキリ言って、駄作だと思います。一番の問題は、ジャック・スパロウがただの『運のいい酔っ払い』に成り下がっていること。かつての彼は、もっと賢くて、底知れない怖さがあったはず。ジョニー・デップの手癖だけの演技を見るのが辛かったです」
……うん、このあたりはね、僕の感想とも完全に重なるところです。
ということで、結論から言っちゃいましょう!
今回の『最後の海賊』。
シリーズ最悪だった前作『生命の泉』の反省を踏まえ、必死に「ファンが観たかったパイレーツ」を取り戻そうと、作り手が冷や汗かきながら修正を図った……その「努力」は認めます。
ただ! 映画としての「語り口」のレベル、脚本の論理的強度、そして何より、主演ジョニー・デップが演じるジャック・スパロウというキャラクターの「賞味期限」。
これらが完全に限界を迎えていることを、皮肉にも露呈させてしまった一作、という風に私は思いました。
そもそもですね、この『パイレーツ・オブ・カリビアン』というシリーズ。
一作目の『呪われた海賊たち』が2003年に公開された時、業界的には「海賊映画は当たらない」というジンクスがあったんですよ。古くは『カットスロート・アイランド』の大コケとかね(笑)。
それをなぜ打ち破れたかといえば、単なる海賊モノにしなかった。「幽霊船」というホラー要素、カンフー映画的なアクロバティックな剣劇、そしてそこに、ジョニー・デップ演じる「キース・リチャーズ風のパンクロックな海賊」という、発明的なキャラクターをぶち込んだ。
つまり、ジャンルの掛け合わせ(マッシュアップ)の妙と、キャラクターの「フレッシュな驚き」があったからこそ、あそこまでの社会現象になったわけです。
で、今回の第5作。
監督は、ヨアヒム・ローニングとエスペン・サンドベリというノルウェーのコンビです。海洋冒険実話『コン・ティキ』でアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
ディズニーの意図は明白です。「とにかく海を、水をちゃんと撮れるやつを連れてこい!」と。
これ、なんでかっていうと、前作の『生命の泉』、覚えてます? ロブ・マーシャル監督。
あれね、当時普及し始めたばかりの「RED」っていうデジタルカメラの3Dリグで撮ったんですけど、そのせいで照明をガンガンに当てなきゃいけなくて、映像全体がこう、「セットで撮ってます感」丸出しの、安っぽいテレビドラマみたいなルックになっちゃってたんですよ。暗い洞窟のシーンとか、何やってるか全然わかんなかったでしょう?
かつて、僕が『ダークナイト』評の時に言いましたけど、フィルムのIMAXカメラが持つ「圧倒的な情報量と深度」こそが映画的な「格」を作るんだ、という話と逆で、『生命の泉』は、技術的な制約が映画の「魔法」を解いてしまっていた。
その点、今回の監督コンビは、ちゃんとわかってます。「海」の怖さ、スケール感、濡れた甲板の質感。
特に、夜の海で幽霊船が襲ってくるシーンのビジュアルなんかは、シリーズ随一と言っていいくらいカッコいい。ここは素直にIMAX案件です。素晴らしい。
そして、その映像的な迫力を支えているのが、今回の悪役、ハビエル・バルデムですよ!
『ノーカントリー』のアントン・シガー役でおなじみ、映画史上もっとも不気味なおかっぱ頭を持つ男(笑)。
今回彼が演じるサラザールも、やっぱりあの「異界から来た暴力」としての存在感が凄まじい。
常に髪の毛が海中にいるみたいにフワフワ浮いてるCG表現も相まって、彼が出てくるだけで画面が引き締まる。ハビエル・バルデムを呼んできた時点で、キャスティングとしては勝ちなんです。
ただね!
ここからが文句のターンですけど。
やっぱりね、ジョニー・デップ問題ですよ。
以前、僕、『ローン・レンジャー』の時評でも言いましたけど、ジョニー・デップっていうスターは、本来「ルックスがいい二枚目」でありながら、ティム・バートン作品のような「エキセントリックな変人」も演じられる、というこの二面性が武器だったわけです。
特にジャック・スパロウという役は、彼が持っている「イケメン」「変人」「ロックスター的カリスマ」という手持ちのカードを全部いっぺんに切った、まさに奇跡のようなバランスで成り立っていたキャラクターだった。
でも、あれから14年経って、50代になった今の彼が演じるジャック・スパロウは、ただの「道化」になっちゃってるんです。
一作目のジャックは、ふざけているようでいて、実は誰よりも戦況をコントロールしている「トリックスター」だった。
でも今回は? 冒頭から酔っ払って、金庫の中で寝てて、あとはひたすら逃げ回って、偶然に助けられるだけ。
これね、脚本のジェフ・ナサンスンが悪いのか、デップのアドリブ任せにしすぎたのかわかりませんが、主人公としての「主体性」がゼロなんです。
これじゃあ、観客は彼に感情移入できない。「もういいよ、お前」ってなっちゃう。
それに、かつての「トリロジー(三部作)」がなぜ面白かったかといえば、オーランド・ブルームとキーラ・ナイトレイという、「真面目な主役カップル」が中心にいて、ジャック・スパロウはあくまで、その物語を引っ掻き回す「劇薬」としての配置だったからなんですよ。
メインディッシュじゃなくて、最高のスパイスだった。
でも、スパイスをメインディッシュにして、山盛り食わされたら、そりゃ胸焼けしますよ!という話なんです。
あと脚本のディテールね。これ、ファンなら絶対怒るところですよ。
ジャックが持ってる「コンパス」の由来。今回、若い頃の回想シーンが出てきて、死に際の船長から受け取ったことになってますけど…いやいやいや!
『2(デッドマンズ・チェスト)』で、ティア・ダルマから貰ったって言ってなかった!?
こういうね、シリーズの根幹に関わる設定を、「今回の話の都合」だけで平気で書き換える。これはね、長いこと付き合ってきたファンに対する背信行為ですよ。
それに、今回の秘宝「ポセイドンの槍」。
「すべての呪いを解く」って……そんなドラえもんの道具みたいなの出しちゃったら、ウィル・ターナーが10年に一度しか陸に上がれない悲劇性とか、デイヴィ・ジョーンズの恐怖とか、全部チャラになっちゃうじゃん!
物語としての「積み上げ」を、自ら台無しにしてどうするんだ、と。
まあね、ラストシーン。
ウィルとエリザベスが再会して、それを遠くからジャックが見守る…みたいな構図。
そりゃあね、1作目から見てる我々からすれば、条件反射的に「ああっ、よかったねぇ」とはなりますよ。
でもそれは、「過去の遺産」を食いつぶして得た感動であって、この映画自体が勝ち取ったカタルシスじゃない。
要はですね、この映画、構造としては完全に「水戸黄門」化してるんです。
お約束のキャラクターが出てきて、お約束のギャグをやって、最後は予定調和で終わる。
ブロックバスター映画としては、それで正しいのかもしれない。実際、世界中でお金は稼ぐでしょう。
でも、そこにかつてゴア・ヴァービンスキー監督が持っていたような、「何が飛び出すかわからない狂気」とか、「映画の常識をねじ伏せるようなパワー」は、もうひとかけらも残っていない。
立派なセットと最新のCGで作られた、「魂の抜けた豪華な幽霊船」。それが今回の『最後の海賊』の正体じゃないでしょうか。
あ、あと時間ないけど、これだけ言わせて!
ポール・マッカートニー!
ジャックの叔父さん役で出てましたけど、あれ、キース・リチャーズが出た時のパロディというか、もはや楽屋オチだよね(笑)。牢屋の中で歌うたってるだけっていう。
あと、若き日のジャックのCG処理、あれは見事でした。あそこだけちょっとテンション上がったかな。
それとエンドロール後のオマケ映像! あれ、やるならちゃんと続編作れよな! 思わせぶりなことだけして終わるのはナシだぞ!
はい、というわけで、IMAXの大画面で観る「アトラクション」としては、まあ夏休み映画として及第点じゃないでしょうか。
ガチャが当たったから観ましたけど、僕の中では、ジャック・スパロウはもう、静かに海に眠らせてあげたい気持ちでいっぱいです(笑)。
(BGM:エンディング曲へフェードアウト)
検証結果:AIに必要なのは「丸投げ」ではなく「愛あるディレクション」
いかがでしたでしょうか。
今回も含め、「AIは、ディレクター(人間)の熱量と知識量に比例してパフォーマンスを変える」ということを実感する毎日です。
今回も単に「それっぽい記事を書いて」と丸投げするだけでは、無難で表面的なまとめ記事しか出てきませんでした。
しかし、人間側が「文脈(コンテキスト)」や「過去のデータ(ロジック)」を具体的に提示し、何度も壁打ちを繰り返すことで、AIは驚くべき精度で「人格の再現」に応えてくれます。
もちろん、今回のテキストが「本物の宇多丸さんの批評」に及んでいないことは百も承知です。
そこには、かけた時間の短さ、ディレクターである私の力量不足、そしてAIの技術的な限界など、複合的な要因があるでしょう。
ただ、それでもです。
わずか数十分の壁打ちで、ここまでのテキストが生成できてしまう現実。
多くのクリエイターがAIを「脅威」や「競争相手」として恐れ、問題視している理由の片鱗は、この記事ひとつ取っても感じていただけるのではないでしょうか。
タウラボでは、こうした「遊び」のような実験も含めて、生成AIの可能性を日々研究しています。
「AIを使って、もっと面白いコンテンツを作りたい」「自社のトーン&マナーに合った発信を自動化したい」そんなご相談があれば、ぜひお声がけください。
それにしても…生成AIがここまで「モノマネ」できてしまうというのは、逆説的に言えば、宇多丸さんの映画評がいかに個性的で、かつ膨大な量のテキストデータ(=実績)としてネット上に積み上がっているか、その「凄み」の証明でもありますね。
以上、今後のアトロクも楽しみにしている、いちファンとしての検証報告でした!
